音楽の話の出来る友達がいる。
自分よりも何倍も知識のある人や、自分とは全く違う視点で音楽を味わっている友達がいてくれてよかったなと思う。
自分よりうーんと歳の離れた人の話を聞くのが好きだ。
俺が日本中のレコード屋を回って、爪の間を真っ黒にして、考古学者のように掘っているレコードは、大体1960年代のものが多い。
御年80歳を超えた彼らは、俺が大好きなその時代の音楽をリアルタイムで味わっていたことになる。
彼らの話を聞いてると、つい昨日のことのように話してくれる。
「あの作曲家はあのバンドのあの奏者を気に入っていた。」だとか、「あの歌手はあの作詞家が書いた歌詞しか歌わない。」とか。
「そういえばあれはあれの旦那で、あれはあれの元嫁。あれ?付き合ってただけで結婚はしてないのか?」とかゴシップ的な話まで聞けるのも笑える。
彼らとの会話はタイムマシンのようだ。彼らがいなくなったら、その当時の情報はレコードの溝にだけ残されることになる。
針を落として、塩ビを削り、情報は流れ出す。それだけでも本当はいいんだけれど、残されない事実は沢山ある。
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この間、大雨の中、友達が店に来てくれた。
そいつは俺と大学時代に授業をサボって山梨のほったらかし温泉に行ったよな、なんて話をしていた。
だけど、俺はそのことを何ひとつ覚えてなかった。
「お前ってほんと冷たいな!」とあいつは笑っていた。
そのまんまあいつは店をぐるっと回って「ほら。これ温泉行くときに車の中で聴いたじゃん。」とレコードを見せてきた。
Weekendの「The View From Her Room」。ぶわっと青梅の山奥を駆け抜けた車内が蘇ってくる。
「ああ。あったな。」って思ったけど「いや。忘れたなあ。」と言った。
まだ未来になんの不安もなく、ただその日々を一生懸命生きることにしか興味なんてなかった時代。
逃げ道なんて必要としていなかったし、逃げるときはすべてを放棄して逃げられた。
それは現実逃避であり、じぶんの美しさを振り返り、守るためのシェルターだ。
今はもう俺にもあいつにも、そのシェルターはない。
針を落として、塩ビを削り、情報は流れ出す。それだけでも本当はいいんだけれど、残されない事実は沢山ある。
なんか、会えてよかったなと思った。
店長